2014年06月16日
父の日
昨日は父の日でしたね。
皆さんはどのような父の日を過ごされましたか?
今日は、その父の日の出来事です。
認知症のある讃岐さん。
お昼には、息子さん夫婦とお孫さんが面会に来られ、楽しい時間を過ごされました。
そして息子さんやお孫さんが帰り、夕食の時間になると普段は夕食をペロリと食べる讃岐さんが、お皿に一口のご飯とおかずを盛って残しています。
「どうしたんだろう。寂しくなったのかな。」と勝手に思い込み、「食べないのですか。」と話しかけてみると、
「親父に!!」という言葉が・・・。
父への感謝がいつまでも変わらない。
出会ったことのない讃岐さんの父の素晴らしさが伝わってくる出来事でした。
皆さんはどのような父の日を過ごされましたか?
今日は、その父の日の出来事です。
認知症のある讃岐さん。
お昼には、息子さん夫婦とお孫さんが面会に来られ、楽しい時間を過ごされました。
そして息子さんやお孫さんが帰り、夕食の時間になると普段は夕食をペロリと食べる讃岐さんが、お皿に一口のご飯とおかずを盛って残しています。
「どうしたんだろう。寂しくなったのかな。」と勝手に思い込み、「食べないのですか。」と話しかけてみると、
「親父に!!」という言葉が・・・。
父への感謝がいつまでも変わらない。
出会ったことのない讃岐さんの父の素晴らしさが伝わってくる出来事でした。
2014年06月13日
散歩
今日は、天気も良く久しぶり散歩に。
さすがに少し距離があったので近くまで車で。
今日は、屋島源平合戦跡めぐりの続きです。
みなさんはもう行かれましたか。
歩くとなにか爽やかな気分になれますよ!!
ここは源平合戦のどこの場面の合戦跡か分かりますか?

もう少しヒントです。

また皆さんも訪れてみてください。

さすがに少し距離があったので近くまで車で。
今日は、屋島源平合戦跡めぐりの続きです。
みなさんはもう行かれましたか。
歩くとなにか爽やかな気分になれますよ!!
ここは源平合戦のどこの場面の合戦跡か分かりますか?
もう少しヒントです。
また皆さんも訪れてみてください。
2014年06月12日
窓の外
今日は、嬉しい出来事が。
いつも、介護職員室の畳で座っている花子さんが、今日は立ち上がって窓の外を眺めているのです。
いつも這って移動してくれることに喜びを感じていた私たちですが、窓の外を見るために立ち上がっている姿は、喜びを超えて感動に!!
しかも、頑張って立ち上がり、片手を振っているのです。
「どうしたのかなぁ。」と思って窓の外をみていると、何人かの元気な小学生の姿が見えます。
その声に引き付けられ、窓の近くまで来て、そして立ち上がって手を振っている花子さん。
小学生も笑顔で手を振りかえしてくれています。
このお互いの心が優しくなれる、元気になれる小さな出来事がとても嬉しかった日でした。
いつも、介護職員室の畳で座っている花子さんが、今日は立ち上がって窓の外を眺めているのです。
いつも這って移動してくれることに喜びを感じていた私たちですが、窓の外を見るために立ち上がっている姿は、喜びを超えて感動に!!
しかも、頑張って立ち上がり、片手を振っているのです。
「どうしたのかなぁ。」と思って窓の外をみていると、何人かの元気な小学生の姿が見えます。
その声に引き付けられ、窓の近くまで来て、そして立ち上がって手を振っている花子さん。
小学生も笑顔で手を振りかえしてくれています。
このお互いの心が優しくなれる、元気になれる小さな出来事がとても嬉しかった日でした。
2014年06月06日
大切な存在
認知症を発症し、83歳で亡くなった平家さん。
初めての出会いの頃、ご本人から
「病気が進行すると、妻や子供の名前まで分からなくなる病気みたいです。不安です。」と言われました。
私が何て言って良いか分からずにいると、隣にいた奥さんとお子さんが
「名前を忘れても、家族は家族だから大丈夫。」と言った時に、
安堵された表情を今でも思い出します。
そして何年か経ち、認知症が進みご家族の名前がうまく出てこない時がきました。
でも奥さんやお子さんは「お父さんは、私たちのことを分かってるね。」と最後まで言ってくれました。
それは、名前を「言える。言えない。」ではなく、
平家さんが出す「家族への安心感。」を最後まで奥さんやお子さんが感じ取ってくれたからだと思います。
本当に最後まで、名前はうまく出てこなくても「大切な人」に変わりはありませんでした。
私は、平家さんが教えて下さった、「愛」は最後の最後まで忘れることはない。
このことを亡くなって数年が経ちますが、今も大切に思っています。
初めての出会いの頃、ご本人から
「病気が進行すると、妻や子供の名前まで分からなくなる病気みたいです。不安です。」と言われました。
私が何て言って良いか分からずにいると、隣にいた奥さんとお子さんが
「名前を忘れても、家族は家族だから大丈夫。」と言った時に、
安堵された表情を今でも思い出します。
そして何年か経ち、認知症が進みご家族の名前がうまく出てこない時がきました。
でも奥さんやお子さんは「お父さんは、私たちのことを分かってるね。」と最後まで言ってくれました。
それは、名前を「言える。言えない。」ではなく、
平家さんが出す「家族への安心感。」を最後まで奥さんやお子さんが感じ取ってくれたからだと思います。
本当に最後まで、名前はうまく出てこなくても「大切な人」に変わりはありませんでした。
私は、平家さんが教えて下さった、「愛」は最後の最後まで忘れることはない。
このことを亡くなって数年が経ちますが、今も大切に思っています。
2014年06月05日
伝えたいこと
認知症が発症した、桜さんは決して人を責めたりしません。
いつも、サポート役にまわって、周りの人を笑顔にしてくれます。
だからいつも桜さんの周りには人が集まってきます。
そんな時、桜さんが優しそうな笑顔で私にこう言いました。
「私はみんなが遊んでいる時、一生懸命、仕事をしました。
お金を使わず、貯めて、うちのやつ(奥さん)と一緒にゆったりと過ごしたかった。
だから、家を建てた、うちのやつはいなくなったが一緒にいたかった。」
昔の話、現在の話は、交差し、正確ではないかも知れませんが、
大切にしてきたこと、何を大切にしたいかは伝わってきます。
一つ一つの事柄の正確さより、何を伝えたいかが大切なのではないでしょうか。
いつも、サポート役にまわって、周りの人を笑顔にしてくれます。
だからいつも桜さんの周りには人が集まってきます。
そんな時、桜さんが優しそうな笑顔で私にこう言いました。
「私はみんなが遊んでいる時、一生懸命、仕事をしました。
お金を使わず、貯めて、うちのやつ(奥さん)と一緒にゆったりと過ごしたかった。
だから、家を建てた、うちのやつはいなくなったが一緒にいたかった。」
昔の話、現在の話は、交差し、正確ではないかも知れませんが、
大切にしてきたこと、何を大切にしたいかは伝わってきます。
一つ一つの事柄の正確さより、何を伝えたいかが大切なのではないでしょうか。
2014年06月03日
コーヒータイム
おやつの時間にコーヒーを入れていると、
認知症を発症している幸子さんが「もう1杯くださいませんか。」と何度もこられます。
「いいですよ。ご自分で好きな量のコーヒーを作られますか。」と尋ねると
「そうしようかな。」と言ってコーヒーを淹れ、
水筒一杯になると部屋に帰って飲むからと、部屋に帰られました。
しばらくして部屋の前を通ると、話声が聞こえてきます。
幸子さんの所に同じ部屋の人が来て一緒にコーヒーを飲んでいるようでした。
それからしばらくして部屋の前を通ると、聞こえてくる声の数が増えているので気になって
部屋を覗くと幸子さんの周りに数人の人が・・・。
どうやら幸子さんは、皆と話をするときに、おもてなしとしてコーヒーを用意し。
私のように話し声につられて部屋を覗く人に、「コーヒーでもどうぞ!!」と
勧めて、皆で語り合う場を自ら作られていたのです。
この幸子さんが作られた交流の場に集まった皆さんの表情は、みなさんがご想像される通りのとても素敵な表情でした。
認知症を発症している幸子さんが「もう1杯くださいませんか。」と何度もこられます。
「いいですよ。ご自分で好きな量のコーヒーを作られますか。」と尋ねると
「そうしようかな。」と言ってコーヒーを淹れ、
水筒一杯になると部屋に帰って飲むからと、部屋に帰られました。
しばらくして部屋の前を通ると、話声が聞こえてきます。
幸子さんの所に同じ部屋の人が来て一緒にコーヒーを飲んでいるようでした。
それからしばらくして部屋の前を通ると、聞こえてくる声の数が増えているので気になって
部屋を覗くと幸子さんの周りに数人の人が・・・。
どうやら幸子さんは、皆と話をするときに、おもてなしとしてコーヒーを用意し。
私のように話し声につられて部屋を覗く人に、「コーヒーでもどうぞ!!」と
勧めて、皆で語り合う場を自ら作られていたのです。
この幸子さんが作られた交流の場に集まった皆さんの表情は、みなさんがご想像される通りのとても素敵な表情でした。
2014年05月30日
年相応!?
今日は、素晴らしい人に出会いました。
五郎さんは、長年会社の社長さんをされていた方。
様々な病気により今は車椅子の生活になっています。
でもこの方の良い所は、出来るできないに関わらず自分で行おうとします。
職員がしようとすると、拒否されます。
私は、「凄いですね。やっぱり自分でされるからお元気なんですね。」と話かけると
五郎さんは「自分でも、人に手伝ってもらった方が綺麗に服がきれたり、楽なことは分かってるけど元気でいたいんよな。」と
笑顔で教えてくれました。
そしてその後の言葉
「みんな年をとれば年相応だと思ってくれるかもしれない。でも自分はそれではどこか寂しい。」
五郎さんは、長年会社の社長さんをされていた方。
様々な病気により今は車椅子の生活になっています。
でもこの方の良い所は、出来るできないに関わらず自分で行おうとします。
職員がしようとすると、拒否されます。
私は、「凄いですね。やっぱり自分でされるからお元気なんですね。」と話かけると
五郎さんは「自分でも、人に手伝ってもらった方が綺麗に服がきれたり、楽なことは分かってるけど元気でいたいんよな。」と
笑顔で教えてくれました。
そしてその後の言葉
「みんな年をとれば年相応だと思ってくれるかもしれない。でも自分はそれではどこか寂しい。」
2014年05月27日
尿意が戻った
今日はとてもうれしい事がありました。
職員さんが嬉しそうな顔で介護職員室まで来て私に、讃岐さんがトイレで排尿できました!!
しかも、自ら「トイレに行きたい」と言ってくださいました!!とすごく嬉しそうな顔で言いに来ると、
私の手を取って讃岐さんの部屋へ。
部屋でも、「良かった!良かった!」と喜んでいます。
讃岐さんは少し恥ずかしそうにされていたので、
こっそりその職員さんが部屋を出てから讃岐さんに「ごめんね」と伝えました。
すると讃岐さんが「トイレに連れて行ってもらって排泄するのは面倒なことが増えるのに・・・それをあんなにも喜んでくれるなんて」
と目に涙をためて喜んでくださいました。
排泄ができた。尿意が戻ったという現実よりも、
この関係性に喜びを感じた瞬間でした!!
※私たちは「排尿管理マニュアル」を参考にオムツ外しに取り組んでいます。
職員さんが嬉しそうな顔で介護職員室まで来て私に、讃岐さんがトイレで排尿できました!!
しかも、自ら「トイレに行きたい」と言ってくださいました!!とすごく嬉しそうな顔で言いに来ると、
私の手を取って讃岐さんの部屋へ。
部屋でも、「良かった!良かった!」と喜んでいます。
讃岐さんは少し恥ずかしそうにされていたので、
こっそりその職員さんが部屋を出てから讃岐さんに「ごめんね」と伝えました。
すると讃岐さんが「トイレに連れて行ってもらって排泄するのは面倒なことが増えるのに・・・それをあんなにも喜んでくれるなんて」
と目に涙をためて喜んでくださいました。
排泄ができた。尿意が戻ったという現実よりも、
この関係性に喜びを感じた瞬間でした!!
※私たちは「排尿管理マニュアル」を参考にオムツ外しに取り組んでいます。
2014年05月26日
安心する風景

いつもは散歩に行っているのですが、今日は、少しだけ車に乗って道の駅へ
ここに来た目的は、昔電車の整備をしていた方がいるのでその方と一緒に電車を教えてもらいに来ました。
ここは、もう乗らなくなった琴電の車両が飾られてあります。
枕木のことや、線路にある石のことも教えてくれました。
なぜ線路に石があるか知ってますか??
石の役割は振動などを吸収して乗り心地をよくしたり、沿線への振動を減らしたりしているそうです。
本当、景色を見て癒されるだけではなく、先輩から学ぶと少し賢くなった気になります。
2014年05月22日
受診
今日、少しお茶を飲みながら幸子さんと話しているとこんな話をしてくださいました。
私が物忘れがはじまった時に、家族から「おばあちゃん。大丈夫なん。病院でみてもらったら。」と何度も言われているときは「辛かったよ。」
「病院なんか絶対いかん。」って喧嘩になったもんね。
と話してくださった。
「どうして病院に行く気になったんですか?」と聞くと、
お孫さんから「認知症かもしれないし、違う病気か、ただの思い違いかもわからんやん。私がついて行ってあげるから。おばあちゃんが言われ続けてるの見てるのは辛いよ。」と言われて渋々病院受診に行ったそうです。
そこで認知症の診断を受けたことにどう思ったかを聞くと・・・
病院で「認知症です。」と言われた時には、辛い気持ちと、どこかアヤフヤだった気持ちが整理されていくような感覚があったそうです。
でも、一番辛かったことは、診断を受けたことよりも、家族から「おばあちゃん。大丈夫なん。」と言われていたことがすごく嫌だったとお話してくださいました。
「今は、一つ一つ困ったことを整理していって、生活のヒントにしていければな。」と話をされていました。
私が物忘れがはじまった時に、家族から「おばあちゃん。大丈夫なん。病院でみてもらったら。」と何度も言われているときは「辛かったよ。」
「病院なんか絶対いかん。」って喧嘩になったもんね。
と話してくださった。
「どうして病院に行く気になったんですか?」と聞くと、
お孫さんから「認知症かもしれないし、違う病気か、ただの思い違いかもわからんやん。私がついて行ってあげるから。おばあちゃんが言われ続けてるの見てるのは辛いよ。」と言われて渋々病院受診に行ったそうです。
そこで認知症の診断を受けたことにどう思ったかを聞くと・・・
病院で「認知症です。」と言われた時には、辛い気持ちと、どこかアヤフヤだった気持ちが整理されていくような感覚があったそうです。
でも、一番辛かったことは、診断を受けたことよりも、家族から「おばあちゃん。大丈夫なん。」と言われていたことがすごく嫌だったとお話してくださいました。
「今は、一つ一つ困ったことを整理していって、生活のヒントにしていければな。」と話をされていました。